気ままな日常

適当なことを適当に書くそんなブログ

「復讐したい」についての妄言の続き

さて続けて、次は高橋についてダラダラと書いていきたいと思う


まず星野について言うと、彼女にとってはあの顔であることが自分のアイデンティティであったと前述で仮定した
では、高橋はどうだろうか

私が思うに泉という女性と2人で幸せな生活をしている自分、これが高橋のアイデンティティを構成しているのではないだろうか
そんな状況下で、ある日突然自分のアイデンティティである妻を失う

これによって彼の心の支えが失われ、穴が空いてしまった

彼が復讐法に則り復讐に及んだのは、彼女を失った悲しみを憎しみに変え、寂しさを埋めたいから

その中で仮に、彼にとってあの顔である女性が泉だとしたらどうだろうか
「どう?似合ってる?」
「どう?似合ってるでしょう?」
妻である泉を構成するアイデンティティである「ネックレス」を付けさせ、その姿を見た結果、この二つの発言を比べて
「似合ってない」
そう言い殺すことはなかっただろう

最初星野の顔を見た時、高橋は驚いた
なぜ死んだはずの妻がいるのだと
その言動と行動から冒頭では、あの顔をしている女性は泉である
というのがが、彼の中の泉という女性の認識であったことを表しているのではないか


そのため途中、顔が同じ星野に好意を抱きかける
これは泉がいなくなった穴を埋めるために、星野を泉として置き換えて認識しようという、防衛機制によるものだと考える

 

「置き換え」について説明すると、これは人間の防衛機制の一種であり簡単に言うと、今の対象だと自分の欲望の解消が見込めない時に、他の対象にすり替えて発散させようとするということである
ちなみに置き換えにおいて、別の選ばれた対象は代理と呼ばれる

置き換えの例としては、ク〇ヨンし〇ちゃんでねねちゃんがストレスが溜まった時にうさぎのぬいぐるみを殴るあの行動が挙げられる

あれも「怒り」という対象を「うさぎを殴る」という代理に置き換えているのである

 

となると、高橋の行動は精神分析学の位置づけで言うと「置き換え」であり、星野は代理である

しかし途中からその理論は破綻していく
高橋が泉と星野の発言を無意識に思い出し、比べ、違和感を感じ始めるからだ
怪我をした人間を見た時に星野は「そんなやつ放っておけばいい」と言った
泉は泣いている子供がいたら、自分のことは後回しにしてその子を助けようとする
このように、彼の中の泉と目の前にいる星野の会話のズレが少しづつ蓄積した結果、決定打となったのが
「似合ってるでしょう」
この言葉になったのだろう
悲しいかな
星野はこの言葉によって自分は泉なのだという認識を高橋に植え付け自分の考えを同調させたかったのに、逆効果になってしまったのだから

それは言うならば、彼にとっての泉という存在認識が「あの顔だから泉」なのでは無く、「顔は一種の彼女を構成する要素なだけであり、内面や仕草など含めてあの顔なのが泉」と確立されたからではないだろうか

星野があの顔を持つ私が私である
そう言いたいのと同じく高橋も、あの顔を持ち自分の隣にいるのは泉だけでありその隣にいるのが自分である
それが彼のアイデンティティ
でなければ、星野の顔の皮を剥ぎただの肉片にすることはなかったであろう
もしこの行動に名前を付けるのであれば、ある意味彼も彼で「この顔を持つのは泉である」としたかった
まあほとんどは怒りによるものなのだが
だからこの行為は彼の中の泉の要素を取り戻すためのことにすぎない

結局のところ置き換えは置き換えただけに過ぎないので、根本的な問題解決にはならないのだ

 

ここまで途中脱線しつつもダラダラと話してきたが結局、最後なぜ高橋が星野を殺すに至ったのか

同じことの繰り返しになるがまとめると、星野にとってはあの顔であることが自分のアイデンティティの全てであった
しかし、高橋はあの顔は自分の隣にいる最愛の妻、泉を構成する要素の1つなだけであって、そこに付け足しであの内面を持ち合わせているのが唯一の泉である
そこの認識にズレによって、最後高橋は星野を殺すに至ったのではないだろうか

 

次に続きます