夜の帳とか言ってみる
こういう至極何でもない、しかし何かをしなくてはいけないという時にはどうでもいいことを考えたくなるものだ
例えば
冷蔵庫の中にあるプリンの消費期限っていつまでだったかな
いや賞味期限だったかな
てかそもそも、賞味期限と消費期限の違い#とは
とか
世の中の電子機器って四角形が多いよね
持ちやすさとか重視した結果なのかな
まあ手には収まり良いもんね
知らんけど
とか
「あなたに似合う人になりたい」って言葉あるけどそれって結局、自分が勝手に相手に思い描いている理想の貴方に自分を当てはめたいってことだよな
一見ロマンチックだけど、それって傲慢だし利己的じゃないか?
それこそ、100本の薔薇をサプライズで渡してその後の写真をインスタに指輪と共にあげてる自分好き
といった感じでね
薔薇の話は私個人としての意見を述べただけであるので、世の中の「将来は薔薇の花束をプロポーズで貰いたい」とか思っている
現実を離れ、情緒的で甘美な様を求める傾向のある方を否定している訳では、決して、決して無いのだ
とまあ言い訳しておく
陽キャを敵に回すと怖い...
おっとここで心の声が
...いや大丈夫なはず
私の文章をここまで熱心に読んでくれる陽キャはそういないだろう
と若干陰キャにも喧嘩を売るような発言もしてみる(その意味とは)
ちなみに私は陰キャです #とは
とまあ、喧嘩両成敗を履き違えた発言を終えたところで
このように難しくここまで書いてみたものの
ここまでのことを簡単且つまとめて言うのであれば
結局何が言いたいかと言うと
特にやることはないし、寝なくてはいけないのだが眠れない
ということである
ここまで読んでくれた大層心の広い持ち主はもうお気づきだろうが、こうして暇な私は普通の言葉をあえて難しくしてしまう面倒臭い奴に成り下がってしまうのである
無駄に堅苦しい言葉を使ってみたり逆接を使ってみたり
合っているか間違っているかそこはニュアンスで
上に記した「現実を離れ、情緒的で甘美な様を求める傾向のある方を否定している」なんていうのも、一言ロマンチックと言えばいいのに
あえてこんな小学生が夏休みの感想文を書く時に、文字数を増やす為にやるような手法をしなくてもいいのに
無意識の内についついやってしまうのである
いや分からない
ああまた「いや」とか使って!
ここまでで私は一体何回「いや」を使っているのだろうか
数えたら6回ぐらいは使っているのでは
暇な人は最終的に私が何回「いや」を使っているのか
数えて下さいませ
合っていたからと言って何もないし、私はその答えを知らないのだが
...話がそれた
深夜は気分の浮き沈みが激しいと言うし、もしかしたらこれも自分の一面なのかもしれないが
なんてもっともらしいことを言ってみるが要するに
私今めちゃくちゃ深夜テンション!やっほい!
と言いたいのである
ここまでつらつらと書いてきたが、何を書いているのかよく分からなくなってきたので、そろそろこのブログを締めたいと思う
今度書く時はもっと真面目に書こう
いやでも、このブログは適当なことを適当に書くって説明書きしてるし
ここでくそ真面目なことを書いたところで何の意味があるのだろうか
いやそもそも感情に対して意味づけを求める方が間違っているのだろうかはたまた...
ああ!またこんなこと考え始めて
キリがないじゃないか
思考のループループループ...
と尻窄まりに終わるのも、これまた一興の翁とか言ってみる
「復讐したい」とは結局
ここまで長々と話続けてきたが結局何が言いたいかと言うと
星野の中ではあの顔である自分が自分であるというアイデンティティだった
しかし、高橋の中ではあの顔は妻の泉を構成する要素の一つなのであって、あの顔だけが彼女ではないという認識が幸か不幸か、星野との会話の中でそれが確立されてしまった
殺すまでに至ったプロセスを無視して「本能」という観点で考えると、それが高橋が星野を殺し顔の皮を剥ぐまでに至った原因なのではないだろうか
形は違うとはいえ、2人のアイデンティティには泉が深く関わっている
その人の顔という要素によって、それぞれのアイデンティティが確立されている
実際の行動は置いておいて本能的な面を見ると、2人は実はお互いの1番の理解者なのではないだろうか
他人によって自分のアイデンティティを確立しているという観点において
もしかしたら別ルートが存在する可能性が途中までは存在したのではないか
そう考えてはみるものの、結局衝突が起きることは目に見えているのでそれに頷くことは出来ない
復讐は寂しさを埋める一介のものにすぎない
妻を失って悲しい、辛い、寂しい
だからその元凶である犯人を殺す、つまり復讐することで心に空いた穴と妻と一緒にいる自分というアイデンティティを取り戻そうとしたのではないかと思った
ここまで勝手な拡大解釈に基づいてお届けしましたがいかがだったでしょうか
考察って楽しいね
考えるだけはタダだし
この考察ブログを書くまではふざけたことしか書いてこなかったけど、一応こういうのも書けなくはないんだぞ
と自分を誇示した所で最後を締めくくりたいと思います
また気が向いたらこういうの書こうと思うので、なんかオススメ作品あればゴリ押しして下さい
多分観るので
ではまた
「復讐したい」についての妄言の続き
さて続けて、次は高橋についてダラダラと書いていきたいと思う
まず星野について言うと、彼女にとってはあの顔であることが自分のアイデンティティであったと前述で仮定した
では、高橋はどうだろうか
私が思うに泉という女性と2人で幸せな生活をしている自分、これが高橋のアイデンティティを構成しているのではないだろうか
そんな状況下で、ある日突然自分のアイデンティティである妻を失う
これによって彼の心の支えが失われ、穴が空いてしまった
彼が復讐法に則り復讐に及んだのは、彼女を失った悲しみを憎しみに変え、寂しさを埋めたいから
その中で仮に、彼にとってあの顔である女性が泉だとしたらどうだろうか
「どう?似合ってる?」
「どう?似合ってるでしょう?」
妻である泉を構成するアイデンティティである「ネックレス」を付けさせ、その姿を見た結果、この二つの発言を比べて
「似合ってない」
そう言い殺すことはなかっただろう
最初星野の顔を見た時、高橋は驚いた
なぜ死んだはずの妻がいるのだと
その言動と行動から冒頭では、あの顔をしている女性は泉である
というのがが、彼の中の泉という女性の認識であったことを表しているのではないか
そのため途中、顔が同じ星野に好意を抱きかける
これは泉がいなくなった穴を埋めるために、星野を泉として置き換えて認識しようという、防衛機制によるものだと考える
「置き換え」について説明すると、これは人間の防衛機制の一種であり簡単に言うと、今の対象だと自分の欲望の解消が見込めない時に、他の対象にすり替えて発散させようとするということである
ちなみに置き換えにおいて、別の選ばれた対象は代理と呼ばれる
置き換えの例としては、ク〇ヨンし〇ちゃんでねねちゃんがストレスが溜まった時にうさぎのぬいぐるみを殴るあの行動が挙げられる
あれも「怒り」という対象を「うさぎを殴る」という代理に置き換えているのである
となると、高橋の行動は精神分析学の位置づけで言うと「置き換え」であり、星野は代理である
しかし途中からその理論は破綻していく
高橋が泉と星野の発言を無意識に思い出し、比べ、違和感を感じ始めるからだ
怪我をした人間を見た時に星野は「そんなやつ放っておけばいい」と言った
泉は泣いている子供がいたら、自分のことは後回しにしてその子を助けようとする
このように、彼の中の泉と目の前にいる星野の会話のズレが少しづつ蓄積した結果、決定打となったのが
「似合ってるでしょう」
この言葉になったのだろう
悲しいかな
星野はこの言葉によって自分は泉なのだという認識を高橋に植え付け自分の考えを同調させたかったのに、逆効果になってしまったのだから
それは言うならば、彼にとっての泉という存在認識が「あの顔だから泉」なのでは無く、「顔は一種の彼女を構成する要素なだけであり、内面や仕草など含めてあの顔なのが泉」と確立されたからではないだろうか
星野があの顔を持つ私が私である
そう言いたいのと同じく高橋も、あの顔を持ち自分の隣にいるのは泉だけでありその隣にいるのが自分である
それが彼のアイデンティティ
でなければ、星野の顔の皮を剥ぎただの肉片にすることはなかったであろう
もしこの行動に名前を付けるのであれば、ある意味彼も彼で「この顔を持つのは泉である」としたかった
まあほとんどは怒りによるものなのだが
だからこの行為は彼の中の泉の要素を取り戻すためのことにすぎない
結局のところ置き換えは置き換えただけに過ぎないので、根本的な問題解決にはならないのだ
ここまで途中脱線しつつもダラダラと話してきたが結局、最後なぜ高橋が星野を殺すに至ったのか
同じことの繰り返しになるがまとめると、星野にとってはあの顔であることが自分のアイデンティティの全てであった
しかし、高橋はあの顔は自分の隣にいる最愛の妻、泉を構成する要素の1つなだけであって、そこに付け足しであの内面を持ち合わせているのが唯一の泉である
そこの認識にズレによって、最後高橋は星野を殺すに至ったのではないだろうか
次に続きます
今更ながら「復讐したい」を観たオタクの妄言
お久しぶりです
なんでこんなのを今更ながら書いているかというと、ことの始まりは昨日の夜中
とある話をきっかけに「復讐したい」の魅力に取り憑かれている女に「いいから観ろ」と圧をかけられ、怯えながら急遽鑑賞会が始まったことから始まる
作品のことは知っていたが、実際にまだ観たことは無かったためワクワクしながら観たわけだが...
結果はまあ、いい意味でも悪い意味でも期待を裏切られた作品だった
急に高橋がやる気を出したり、怒涛のメンバー登場ラッシュがあったりとなかなか盛りだくさんな内容でお届けされていて監督の頑張りが伝わってきた
ちなみに推しの顔面は100万点であったという、どうでもいい情報をここにぶち込んでみる
そんな中、最後に高橋と星野が対峙する場面があるのだがそれを観ていてふと、思ったことがある
もしかして高橋と星野は似た者同士であり、実は最高の理解者になりうるのではないか、と
そんな感情を友人にぶつけた所、考察することを勧められたので、今日はこんな考えを元に
どうして高橋は星野を殺すに至ってしまったのかを、書いていきたいと思う
まあ話の結論としてはなかなかズレているし、「そんなの憎しみが理性に勝ったからじゃん」とか言われたらそれまでなのだがそこは気にしない方向で
最初に言っておきますが、あくまでもこれは私の個人的なひねくれた見解に基づくものなので
「えっそれは違うだろ」とか「この言葉の使い方間違ってる」とかそういった類のコメントは受け付けないのであくまでも1オタクの妄言だと思ってさらっと読んでください
あとこれは、私にこの作品を勧めてきた友人に投げつけたメモをほぼそのまま載せてるので、文章として繋がってない所はあるとは思うがそこはご勘弁を
↓以下ネタバレ含みますので、「まだ観てないからやだ!」とか「こんな長々とした前書き見た後でそんなの観てられるか!」って方は、カエルのブログでも観て「なんだこいつ」とでも思ってて下さい
登場人物の名前が分からないって人は、このリンクから飛んで調べるか、映画を観てください
GYAO!で火曜日ぐらいまでは無料放送してますので
星野について
まず彼女は顔にコンプレックスがあった
それを改善するために整形に踏み切った
しかしながら、その目の前に元々彼女が欲しかった顔を元々持ってる女(泉)が目の前に現れた
→そこでまず劣等感が生まれる
もちろん彼女は動揺する
心が乱される
その動揺はやがて憎しみに変わる
←ここまでが話の流れ
彼女にとって整形で作られた理想の顔はその彼女の全てであり、それは命と何ら変わらないものである
整形によって彼女のアイデンティティは確立されたようなものなのに、その存在を否定されるようなことがあるならば、それは存在゙全でを否定されたという感情に繋がるのではないか
それは言わば自分を殺されたも同然である
「この顔である私が私である」という理論付けが彼女の中にされているのであれば、同じ顔をしている泉の存在は無意識に彼女を傷つける刃となる
だから彼女を殺すことによって、自分という存在を肯定する且つ私は私であるというアイデンティティを確立させようと思ったのではないか
じゃあもし彼女が妻と二卵性の双子で、片割れに憧れて整形したとしたならば同じことが起きたかと言われるとそれを証明するのは難しい
しかしもしその状況下であった場合、本能の植え付けとして生まれつき彼女の中に元の顔である私が存在し、それを自覚した上で整形に踏み切るのではないかと思う
顔だけにアイデンティティの全てを持ってきている訳ではないのだから
これは想像だが、彼女の周りに彼女の顔を認める者があまりいなかったのではないだろうか
アイデンティティの形成は幼少期の環境が左右するという話ある
憧れというのは、個々が別々の人間であるということを時に曖昧化し、やがてそれは同化に繋がる
偶然が産んだ悲劇ではあるが、これも一種のアイデンティティの失敗によるものとも言えるのではないだろうか
「私が泉さんの代わりになってあげる」
「何もかも同じにしてあげる」
この発言は命乞いのためだと思うが、ひねくれた見方をすれば憧れの顔を持った"泉"という存在を認めることは、彼女のアイデンティティの確立に大きな1歩をもたらす
だから咄嗟にあの発言が出たのではないだろうか
本能では彼女は泉に゙同化゙したいのでは
これがまず星野に着目した考えになる
たまにはまともに書いてみようと思ってダラダラ書いてみたけど、どつちにしろやっぱり読みづらいわ
自分の文章構成力に限界をおぼえているが、次のブログに続きたいと思う
空白
実に3日ぶりに更新なわけですが、残念なことにわたくし何も書くことが思いつきません
いや〜困ったね
どうしようかね
悩みすぎて最後の更新から体感3年も経っちゃったし
ね!!!!!!
3年も経った割に変わったのは髪の長さと納豆をかき混ぜる回数ぐらいだから何も変わってないねせっしゃ
や〜しっかしなんて加工かナン
ほら〜〜〜〜〜悩んでるから書こうかなって打とうとしたのにナン加工しちゃったりしちゃったりしちゃったりしちゃってるじゃん〜〜〜〜〜〜
誤変換甚だしい代々木〜〜〜〜〜〜〜
どうしようかナイル川って感じです鼠
もうまいっちゃったねこれはんばーぐ
語尾もなんだか様子がおかしいし、これではいけないぞ
ということで
このブログには何も書かないことにします!
もう1度言います!
このブログには何も書きません!!!!!
だってさー語尾もおかしくなるしさー
一人称せっしゃとか言っちゃうしさー
そんなこと言ってたらある日急にタイムトリップして、可愛い助手に
「先生をお慕い申しておりました」
とか言われちゃったりしちゃったりしなかったりするかもしれないしさー
そんなことになるかもしれないのにブログなんか書いてられっか!!!!!
と、いうことで
楽しみにしていた方ごめんなさいね
今日のこのブログはもう何も書かないって決めちゃったから、空白のページになってしまうけど許してちょうちんあんこう
ほらそんなこと言ってるときにまた語尾がおかしくなっちゃってる!ほんと困ったもんだわ!
もう一度言います!!
このブログには何も書きません!!!!!
1文字も書きません!!!!!
なので今日は何も書いていない、下にいくらスクロールしても文字が見当たらないブログになってますがけっして!けっしてバグではないのでご安心下さいね!!!!!
それでは
1日
今日は日記を書いて見ることにした
日記といっても今日のことではない
えっ日記ってその日に書くもんじゃないの?
と言われてもそれは聞かなかったことにする
8:00 起床
8:02 布団から出て身支度を整えに歩き始める
8:03 コタツに到着
10:30 朝食
オシャレにフレンチトーストなんか作っちゃって
おいお前イカしてんな
なんて家族に小突かれながら食べる
12:00 昼食を食べながら
日記ってこんなに細かく書くようなものなのだろうか
というかそもそもかこれ日記というかスケジュール表じゃね
オリンピック選手でも多分こんなに細かくスケジューリングしないのに、あたし偉くね
と色々な考えが頭をよぎるが気にしないことにする
気にしたら負けだよねきっと
13:00 腹ごなしの運動がてらに散歩に出かけたら、野良猫と遭遇した
へいお嬢さん!チ〇ールあげるからなでさせて!
と話しかけながら、とりあえず逃げるネコをウサイン・ボルト並の勢いで近づいてみる
14:20 ネコに逃げられるので追いかけてみる
なんであたし走っているんだっけ
と途中何度かネコと自分を見失いかけるがとにかく走る
14:30 やっとネコを捕まえることに成功
逃げるものは追いたくなるのが本能ってやつよね
14:40 ネコとの一悶着を終えトコトコと歩いていると、10年ぶりに幼なじみと再会した
思ったよりもイケメンに成長していて、みにくいアヒルの子とはこういうことか
と納得した
18:30 夕食
18:40 冷えたカルピスを一気飲みして
やっぱこれだね〜
と言ってみる
18:41 ご飯にカルピスは冷静に考えたらあんまり合わなくねってなって飲み物をお茶に変更
20:56 無意味に妹にヘッドロックをかけて返り討ちに合う
21:30 就寝
っていう感じで
今日は日記に書けるほど何かある充実した日になるといいな
なんて考えていたら一日が終わっていた
日記って難しいね!
早く酒が飲めるようになりたーい
それでは
カエル捜索記②
二度あることは三度ある
とよく言ったものですが、その通りだなと思う今日この頃です
はい
ということで今回もカエルについての話です
最近の悩みの種になっているのが
な訳ですが
連日のあまりの鳴き声のうるささに昼に捜索に繰り出したのですが全く成果が得られず、ちょっぴりしょげていたテテテですがまたまた捜索に行ってきました
ことの始まりは18:30頃
妹1の顔を見ながら食う飯は旨い
なんて言って本人に
何言うとんのや姉ちゃん頭おかしいんか!
的なことを、とても丁寧な言葉で言われていたそんな時
また例の悪魔の叫びが聞こえてきた
それを聞いたあたしは最初
世の中にはどうにもならこともあるし仕方ないようんうん
なんて聞き流していた
しかしそんな中、弟のいがぐりから
「お姉ちゃん、あいつらのあのままにしておいてもいいのか!俺たちで捕まえに行こうぜ!」
という、少年漫画で主人公がつるんでる仲間の1人がよく言いそうなセリフで捜索へ勧誘された
断ろうと思った
しかし、心の中のカーネ〇・サン〇ースが
「行ってこいよ馬鹿野郎め!」
的なことを超絶丁寧な言葉で言ってきたので、あたしと弟は第2回ウシガエルの捜索の旅に繰り出すことになった
鶏肉とカエルの肉って似てるって言うし、カーネ〇・サン〇ースに従っておけば何も間違いはないだろう
そんな気持ちと
右手には竹の棒、頭にはヘッドライト、左手ランプというドラクエⅢとラ○ュタを組み合わせたような格好の弟いがぐりと共に携帯とランプ片手に意気揚々と歩き始めたのだが
絶対に捕まえて開いてやる
という殺気が大いに発揮されるのか、鳴き声が出た瞬間ピタッと止んでしまった
これはいけない、でばなをくじかれてしまったぞ
ドラクエでさえ最初の街に行くまでは何事もなく話が進むのにこんなことって
なんて悲劇のヒロインぶってみても、状況は変わらない
これでは捜索が進まない
どうしようか
悩んだ挙句、とりあえず地べたに座ってみた
3分程経った頃だろうか
ゲーゲーという悪魔の声がまた聞こえてくるようになった
よしこれなら捜索が進められるぞ
え、なんで地べたに座ったかって?
もちろんこうなることを見越してに決まってるじゃないか、ははっ
なんて言う姉を冷めた目で見ている弟いがぐりを引き連れて、声のする方へ向かった
こうして捜索を再開した我々だったが
そこからはとても大変だった
同じ所を3回ぐらい通ったり
坂道を無駄に登って降りてみたり
やけに草丈の高い草むらだか荒地だかに入ってみたり
地面が割れてると思って通ったらそれがアリの軍隊だったり
重機を見つけて弟にその解説を聞くことになったり
土が思ったよりも深くてハマってみたり
犬に吠えられてみたり
なんでこんなご時世にこんなことしているんだ
ウシガエルがあたしのことを好きなはずなのにまるであたしがウシガエルのことを好きみたいじゃないか
なんなんだこの胸の高鳴りは
まさか恋?!
と坂道を3往復したあとに思ったり
とまあ、よく知らない先生に退任式用の手紙を書かなきゃいけない時ぐらい大変だった
そんなこんなで2時間ぐらい捜索して20:30頃帰宅したのだが
結局、憎きウシガエルを見つけることは出来なかった
しかも挙句の果てに家に帰ってあたしの顔を見た母さんの第一声は
あんたやつれたねははっ
だし
妹には
何だか山に住んでそうだね
と顔の毛穴全部開いてんじゃねえかって顔で笑われるし
散々な言われようだ
というか19にもなって何をしているんだ
なんていう冷静な自分もいたが、それは心の中のカーネ〇・サン〇ースにヘッドロックをかけてもらって黙らせた
結構歩いたせいで足はだるいし、首は痛いし、妹の足を踏みつけて怒られたのも
これも全てウシガエルが悪いのだ
あたしは今日の出来事により
あいつを絶対捕まえて開いてやる
という思いがより一層強くなったのであった
ウシガエルの捜索はまだまだ続く
それでは